「北米のパリ」と謳われ、観光客にも大人気のカナダはケベック州にあるモントリオール市。
フランス語が公用語のモントリオールにここ数年で日本からの学生や移民希望者が急増!
そんなわけで、生活する上でも重要となってくるエリア情報も含め、モントリオールについてまとめてみました。
モントリオールってどんな都市?
モントリオールの名前の由来
モントリオールの名前の由来にはいくつかの仮説があります。最もよく知られているのは、「Mont-Royal/モン・ロワイヤル(王の山)」の変種です。
モントリオールという名前は、最初に山、次に島、最後に都市自体を指しています。
宣教師会ソシエテ=ノートルダム=ド=モントリオール(Société Notre-Dame de Montréal)が1642年にポール・コムデイ・ド・メゾンヌーブを派遣してモントリオール島に都市を設立したとき、彼らはベンチャーの保護者であるバージンを称えて、入植地をヴィルマリーと名付けました。それにもかかわらず、当初から、ヴィルマリーの開拓地と山の両方がモントリオールとして知られ、当時の地図製作者を含む多くの人々にその名が知られていました。 18世紀には、公式発表もなく、モントリオールという名前がヴィルマリーの名前に取って代わりました。それまで、市はモントリオールおよび/またはヴィルマリーのいずれかと呼ばれていました。
モントリオール市のニックネーム
モントリオールにはいくつかのニックネームがあります。
・MTL
・YUL (モントリオール・ピエール・エリオット・トルドー国際空港コード)
・514 (電話のエリアコード)* 非公式・現在は514の他に438がある
・VDM (Ville de Montréal – City of Montreal)
・”La Metropole”
・”Quebec’s Metropolis”
・”The City of Festivals” or “Festival City”
・”Paris of North America”
フランス語と英語のバイリンガル都市モントリオール
モントリオール(英語: Montreal, フランス語: Montréal)はカナダ・ケベック州の都市。
カナダではオンタリオ州のトロントに次ぎ人口・経済規模で第二の都市。ケベック州では最大の都市(ケベック州の州都はケベック・シティ)。
公用語はフランス語だが、英語も話されるバイリンガル都市。
街中のサインは基本的に全てフランス語。
フランス語を母国語とする人たちは66.5%、英語を母国語とする人たちが13.2%、フランス語と英語どちらも母国語とする人たちが0.8%います。モントリオールはケベック州とカナダで最もバイリンガルな都市の1つで、人口の56%がフランス語と英語の両方を話します。
ちなみに、住民の7割弱が第一言語をフランス語とするのは、フランス語圏ではパリとキンシャサに次ぐ規模です。
「北米のパリ」
フランス文化をしっかり受け継いだ雰囲気、美味しい食事、石造りの住宅街、石畳のヨーロッパ調の旧市街の街並みなどから「北米のパリ」と謳われています。
一方、19世紀の終わりから20世紀の始めにかけて英国系移民によって街が発展してきたことからヴィクトリア朝の建物が多いなど英国文化も色濃く残っています。
時差
モントリオールと日本の時差は14時間(サマータイム時は13時間)。そのため昼夜がほぼ逆となります。
例)
日本が1月1日午前0時の時、モントリオールは12月31日午前10時(時差14時間)
日本が4月1日午後12時の時、モントリオールは3月31日午後23時(時差13時間)
人口と人種割合
モントリオール市の人口は178万人(2017年調べ)。周辺地域を含むモントリオール大都市圏(CMA)の人口は420万人超(2020年調べ)であり、これは北米で15番目の規模。1950年は130万人だったので、急激に人口が増えてきたが、近年は数字の伸びは緩やか。そのため、元々はモントリオールはカナダで一番人口の多い都市でしたが、1970年台にトロントに抜かれました(トロント大都市圏(GTA)の2020年の人口は約620万人。)
最大の民族グループはヨーロッパ起源のもの。モントリオールのヨーロッパ最大の祖先には、フランス人(26%)、イタリア人(7%)、アイルランド人(6%)、イギリス人(4%)、スコットランド人(3%)、スペイン人(2%)があります。
モントリオールの人口は63.3%がヨーロッパ人で先住民は2.5%。34.2%は可視的少数派(英: visible minority、先住民族を除く、非白人系人種または肌の色が白くない人々)に属しており、1981年のわずか5%から劇的に増加しています。最も一般的な可視的少数派は、黒人(10.3%)、アラブ人(7.3%)、ラテンアメリカ人(4.1%)、中国人(3.3%)、南アジア人(3.3%)、東南アジア人( 2.1%)、フィリピン人(1.4%)、西アジア人(0.9%)、韓国人(0.3%)、日本人(0.2%)、その他の可視的少数派(0.7%)と、世界各地からの移民も多い多民族都市(2016年調べ)。
近年の移民は、フランス、モロッコ、アルジェリア、レバノン、ハイチ、カメルーンなどのフランス語圏や旧フランス植民地からの移民が多い。そのため他の北米の都市とは異なり、黒人が多く住んでいる。トロントやバンクーバーの大都市と比べると東洋系は少ない。
ある特定の人種が多く住むエリア
エリア名 | 人種 |
Outremont ウトルモン | ユダヤ人 |
Côte-Saint-Luc コート=サン=リュック | ユダヤ人 |
Hampstead ハンプステッド | ユダヤ人 |
Rosemont–La Petite-Patrie(Little Italy) ロズモン-=ラ・プティット=パトリー(リトルイタリー) | イタリア人 |
Chinatown チャイナタウン | 中国人 |
Brossard ブロサード | 中国人 |
Guy-Concordiaエリア ギー=コンコルディアエリア | 中国人・韓国人 |
Côte-des-Neiges コート=デ=ネージュ | フィリピン人 |
Acadie アカディー | インド人を主に含む西アジア |
Laval(Chomedey area) ラヴァル(コムデイエリア) | ギリシャ人 |
Saint-Laurent サン=ローラン | アラブ人 |
モントリオールの公共交通機関STM(Société de transport de Montréal)にはメトロ(地下鉄)とバスがあります。このページでは、STMの駅とそれぞれの駅があるエリアについて詳しくご紹介していきます。[…]
宗教
ローマカトリック教が最も広く行われている宗教ですが、毎週の教会への出席は国内で最も低くなっています。
歴史的にモントリオールは、ノートルダム大聖堂、マリーレーヌデュモンド大聖堂、セントジョセフ礼拝堂など、数多くの神学校や教会があり、北米のカトリック教の中心地でした。
人口の約65.8%はクリスチャンで、52.8%はフランス人の開拓者とアイルランド人およびイタリア人の出身者のためローマカトリックです。プロテスタント(5.9%)は主にドイツとイギリスの出身の英国国協会のクリスチャンで、3.7%は主にギリシャ人の正統派クリスチャン。イスラム教は最大の非キリスト教の宗教団体であり、154,540人の会員を抱えています。
モントリオールのユダヤ人コミュニティの人口は90,780人。コート=サン=リュックやハムステッドなどの都市では、ユダヤ人が人口の大部分または大部分を占めています。
フランス語圏と英語圏
モントリオール島内は中心部(ダウンタウン)を境に東部と西部によって言語が分かれています。中心部(ダウンタウン)ではフランス語が主ではありますが、英語も幅広く多く使われています。
通りの名前などもフランス語圏と英語圏の呼び名があります。例えば、ダウンタウンのメイン通りとなるSainte-Catherineはフランス語圏の読み方はサント・カトリーヌ通り、英語圏の読み方はセント・キャサリン通りとなります。
東部へ行くほど完全なフランス語圏になり、地下鉄ベリ・ウカム(Berri-UQAM)駅周辺のカルチエ・ラタン地区(Quartier Latin)やサン=ドニ地区(Saint Denis)では英語を聞く機会はかなり少なくなります。プラトーエリア(Plateau)はフランス語圏のダウンタウンとしても有名です。
一方、ダウンタウンから西側に向かうウエストマウント(Westmount)、ノートル=ダム=ド=グラース(Notre-Dame-de-Grâce/NDG)、ハンプステッド(Humpsted)やコート・サン・リュック(Côte-Saint-Luc)といった西部はフランス語よりも英語が主体に使われています。そのさらに西側には住民の半数以上は英語を母語とする英語圏であるウエストアイランド(West Island)と呼ばれる地域にはイギリス系、アイルランド系、スコットランド系住民が多く住む緑豊かで閑静な住宅街が広がっています。なおモントリオール島外はオンタリオ州に向かう東側(ヴォードライユ=スランジュ地域/Vaudreuil-Soulanges)や南岸(グリーンフィールドパーク/Greenfield Park、シャトゲ/Châteaugay、先住民居留区のカナワク/Kahnawake等)の一部を除いてほぼフランス語圏であり、英語の通用度は低くなります。
歴史
島で最も古い住民は先住民族の人々で、4,000年前にこの地域に住んでいて、トウモロコシを栽培し、要塞化された村を建設。セントローレンスイロコイ人はフランス人が到着する200年前にこの地域にホチェラガ村を設立。次に紹介するフランスの探検家ジャックカルティエが1535年にこの村を訪れ、1,000人以上の人口を確認。
1535年にジャック・カルティエが最初のヨーロッパ人として現在のモントリオールに到達。その地はイロコイ族の砦があり、オシュラガ(仏語:Hochelaga)と呼ばれていました。その後1603年にサミュエル・ド・シャンプランが訪れたのち、1641年にポール・ド・ショメディ・メゾンヌーヴにより家屋・道路の建設に着手。1642年よりフランス人の入植が始まり、5月17日に、聖職者、尼僧、開拓者からなる一団がヴィル・マリー(仏語:Ville-Marie、マリアの街)の名で開拓地を設立。1644年には北米で最初の病院が建設。
モントリオールは毛皮取引の中心地となり、またフランス人探検家たちの拠点として使われました。
1760年にイギリス軍に降伏するまで、新しい領土カナダはフランスの植民地として統治されていました。
モントリオールは1832年に結成され、30年未満でイギリス北アメリカで最大の自治体となりました。 1844年から1849年までは英領カナダ州(Province of Canada)の州都でした。1951年までに100万人以上の人々が住んでいたモントリオールには、1967年に世界博覧会(モントリオール万国博覧会)が開催され、国内で最も高い超高層ビルが建てられました。
二つのカナダ横断鉄道路線がモントリオールを通り、モントリオールは経済的にカナダで最も重要な都市となりました。
まとめ
カナダの中で唯一フランス語圏のケベック州にあるモントリオール。
住民の多くが第一言語をフランス語とするのは、フランス語圏で3番目の規模というのもすごいですよね。
バイリンガル都市と言えど、実際、街中の標識はフランス語で、レストランもフランス語色が強いエリアだとフランス語のメニューしかないお店もあります。
若い子でも人によってはフランス語しか話せない子もいます。
でも皆優しい!
ヨーロッパ調の街並みが美しく、日本人にも大人気の都市です。
街中を歩いていると、いろんな国の人を見かけますが、多種多様な人種が住んでいることの利点は、世界中の食べ物が美味しく食べられるところではないでしょうか。
1つの人種が多く住んでいるエリアは、そのお国の食事が食べられるレストランも多くあります。
ぜひこのページのリストを参考にしてみてください。